講師派遣

  1. ホーム
  2. 講師派遣
  3. スポーツ
  4. 飯島 健二郎
飯島 健二郎

飯島 健二郎(イイジマ ケンジロウ)

現 職

ロンドンオリンピック トライアスロン 日本代表監督
JOCトライアスロン専任コーチ
北京オリンピック トライアスロン 日本代表監督
アテネオリンピック トライアスロン 女子コーチ
シドニーオリンピック トライアスロン 日本代表監督
日本人プロトライアスリート第一号
元・日大二高教員(野球部顧問として甲子園出場)

コメント

日本トライアスロン草分け的存在であり、プロトライアスリート第1号。
野球の名門高校の顧問としてチームを甲子園に導くも、選手との練習中にヒザを負傷し入院生活を送る。その時に「これが完走できるようになっている頃には、ヒザも治っているはず」とリハビリとして始めたトライアスロン。しかし、飯島はそのトライアスロンにはまってしまった。
当時、数年前にアメリカで始まったばかりで、日本に紹介されてわずかな日しか経たなかったトライアスロン。もちろん、競技者もわずかであり、とてもそれで生活をしていけるとは誰も思わないような時代であった。そんな中、飯島は結婚直後にも関わらず、教員と言う安定した職業を捨て、当時、日本トライアスロン連盟会長であった長島茂雄氏の後ろ盾もあり、競技に専念し、勝負するためにプロとなる。その後単身渡米する等、己の道を切り拓き、パイオニアとして一時代を築いた。
1998年に競技を引退後、「働くとは何か?」を自らに問うために、志願して100日間地下鉄工事現場で働く事もあった。
トライアスロンが五輪正式競技となった2000年シドニー五輪では代表監督、2004年アテネ五輪では三宅義信総合監督(ウェイトリフティング・ローマ五輪、東京五輪金メダリスト)のもと、女子ヘッドコーチを務めた。自ら指導する選手も、競技歴1年強の選手を代表チームのエースに育てあげる等、厳しいながらも指導者としても定評がある。
「選手指導の原点は、人間教育にあり」を方針として選手教育にあたる。その効果は、高校教員時代に顧問として、甲子園出場、水泳部インターハイ出場、そしてトライアスロン界での数々の実績が証明する。
その独特で的確な指導法は、スポーツ界にとどまらず、現在荒廃した教育界や、指針の見えない実業界においても役立つものと言える。

経 歴

1959年

東京生まれ。日本大学文理学部卒業。

 

1982年 4月 日本大学附属第二高等学校の教員として赴任。  
  8月 野球部顧問として甲子園に出場、ベスト16に進出。  
1984年 8月 水泳部顧問として、部創立以来のインターハイ出場に導く。  
1986年 日本大学附属第二高等学校を退職し、プロトライアスリートを目指す。  
1987年 4月 プロトライアスリート第一号として活動を始める。  
1988年 (株)ケンズを設立。(トライアスロン大会開催、チーム運営、スクール等)  
1989年 チーム・ケンズを結成。
現在の指導者、トップ選手として活躍している選手の多くを輩出。
 
1998年 11月 現役を引退。 飯島健二郎トライアスロン
2000年 9月 シドニー五輪・トライアストン代表監督
2004年 8月 アテネ五輪・トライアスロン女子ヘッドコーチ(男女総合監督・三宅義信氏)
2008年 8月 北京五輪トライアストン代表監督(井出樹里選手5位入賞)
2012年 7月 ロンドン五輪・トライアストン代表監督

主な講演テーマ例と概要

どう暮らすかより、どう生きるかを追い求めよう
強豪野球部の顧問として甲子園出場、その後教員免許を投げ捨てプロアスリートとして闘ってきた飯島氏。また、現役時代だけではなく、現在も日本代表を率いて世界を転戦してきた経験や、引退直後は協会関連の仕事があったにも関わらず、「働く意味とは何か?」を追求し、自ら地下鉄工事の作業員として100日間働いていたエピソードもある。
勝つこと、強くなること~プロトライアスリート草分けとして、そして指導者として~
3つの種目を一人でこなす過酷なスポーツ「トライアスロン」は、練習をただ積むだけではなく、最後は自己との戦いに勝たなければならない。苦しさの中でも冷静な判断が必要となってくる。国際人としても通用する自立した選手を育てるためには何をすれば良いのか。自ら世界に飛び込み、世界で学び、プロトライアスリート第一号となった飯島氏が選手時代にどのように自信をつけて来られたのか、また指導者として何を考え実践しているのかお話しする。
 
今、日本人に求められるもの~世界転戦を通じて感じたもの~
自信があれば、人に優しくなれる
自信を持つことの大切さ
指導の原点は人間教育にあり
継続力という『力』~成人してから見続ける夢は闘い~
オリンピック4大会を指導して見えたモノ~部下育成編~
ナショナルチームの監督は中間管理職~時代と共に多様化するマネジメントスタイル~

主な実績

・オシュマンズ原宿店
・西武スポーツ館(武蔵野市吉祥寺) 計6回
・ヴィクトリア(神田) 計12回
・武蔵野市 計78回
・スポーツフォーラム
・日本大学第二中・高等学校 計2回
・杉並区立井草中学校
・練馬区立光が丘第二中学校
・札幌市体育協会・教育委員会(北海道札幌市)
・藤野市講演会(山梨県藤野市)
・駿河トライアスロン大会開会式会場(静岡県)
・蒲原青年会議所(静岡県庵原郡)
・阪急イングス(大阪府) 計2回
・東京電機大学
・星槎学園高等部 さわらびの会
・南足柄中学
・SBS
・日本運輸機構
・国立能登青年の家
・熱海市PTA協議会
・富士通経営研修所 計4回
・タヤマクラブ遊技部会
・ブラザー工業株式会社
・東南置賜PTA連合会
・七尾市立東部中学校
・創和ジャスティック建設株式会社
・千葉県立柏陵高等学校 保護者会
他多数
飯島健二郎 研修風景1
 
飯島健二郎 研修風景2

飯島健二郎 名言集(コラムより)

理論や知識の先行する中でやはり行き着くところは、継続的な練習と自分に負けない自分の育成だと思う。
練習において、選手個人がどうレースと同じようにその練習ひとつひとつを捉えていけるかが重要なポイントでした。その考え方で、今のランキングや順位、簡単に言えば優劣が決まっているように思えます。結局練習のための練習ではなく、どう本番のレースの為に1日1日の練習を位置付けているか?という意識の高さ、自覚の問題というものを見逃せません。
自分の思考で考える、そして答えを出してゆく、これはアナログ的発想で時間も労力もかかる。遠回りする分、ある意味では無駄に見えるかもしれない。しかし、この無駄が多くの確立性と物事の深さを手にすることができるキーなのだと感じる。
普段A&Aで強化選手の指導にあたる時や、生活の中、そしてオリンピックを狙うような選手達を指導するときでも「人の心の部分がどれだけ大きいか?」と改めて知らされる事があります。
トライアスロン競技が最終的には我慢比べというシンプルなものに戻るとするならば、そしてその競技の内容が苦しければ苦しいほど、人に対しての優しさが必要なのではないかと考えます。何を甘い事をと仰る方も多くいらっしゃるとは思いますが、少なくとも自分の周りには、その心を教えてくれる方々が多くいた…。そして今もなお多くを語らずとも人にエネルギーを与えてくれる方々がいる事を自分は心から感謝したい。
夢に関して言えば、小さい頃見ている夢は希望であり、成人してから見続ける夢は闘いだと思います。それは、見る事は一瞬でも、見続けるためには強い意志がいるからだと思います。夢を見続けることを、ほとんどの人々は一般論の中で揶揄する事も多いと思います。~中略~年を重ねれば当然責任も重くなるし、現実も世の中の仕組みもいやでも知ることになります。その上でもさらに夢を見続ける意志と環境を手にし続けなければなりません。だから闘いなのです。夢は現実を知り、上手くまとまろうとする弱い自分との闘いなのだと思います。こんな話をすると30年来の友人に「皆お前みたいに強くねぇんだよ!」って言われますが、自分の弱い所を嫌と言うほど知っているからこそ、つっぱり続けるのかもしれません。

いい出逢い創ります。ご相談、無料です。
電話番: 03-3505-5286 FAX: 03-3505-5287 専用メールフォーム