晴れても降っても ホテルから見た日本人論=幸田真音
ある仕事でニューヨークに行ったときのことだ。主催者側が用意してくれたホテ
ルにチェックインした直後、私のなかにムクムクと言いようのない思いが広がっ
てきた。 ベルマンに案内されて部屋にはいったとき、その思いは頂点に達した。
「ああ、やっぱりここではダメだ」と。 荷物を解く前、私はなかば衝動的に「
彼」に電話をかけていた。事情を聞いた「彼」は、いつもの穏やかな声で言った。
「すぐにこちらに向かってください。お部屋をご用意しておきますから」。ニ
ューヨークで私が一番好きだった「ザ・プラザ」は、数々の映画や物語の舞台
にもなり、アメリカの繁栄の歴史を詰め込んだ、まさに「宝石箱のような」ホテ
ルだった。一九八五年九月、あのプラザ合意が結ばれた「ホワイト&ゴールドの
間」を取材し、「日銀券」という拙著にも登場願ったが、そのときお世話になっ
たのも「彼」だった。そういえば、深夜にバスタブで湯に浸っていると、給湯口
から怪しげな緑色の藻が大量に流れ込んできて、あわやゴースト・バスターズ現
象か、と慌てたときもあった。百年近く続いた古いホテルだけに、それなりの
ハプニングもあったが、そんなことを補ってあまりあるほど魅力的で、私はニュ
ーヨークに行くたび、当然のように足を向けた。だが、あの恋しいプラザは、
〇五年四月に閉鎖となり、同時に「彼」もプラザを去った。約半分がコンドミニ
アムとして世界の富豪たちのものになり、今年の秋にはコンパクトなホテルとな
ってリニューアル・オープンの予定である。「世界最高のホテル プラザでの
10年間」(奥谷啓介著・小学館)は、ホテルのフロント・デスクの向こう側か
ら、長年日本人客を見つめてきた「彼」ならではの日米比較文化論になっている。
ホテル業界の裏事情だけでなく、むしろ世界のビジネスの現場から見た日本人論
として、多くのビジネスマンの参考になるはずだ。(作家)
[毎日新聞 2007年8月17日]